シンポジウム「ダビング10について」のご報告
http://miau.jp/1200619927.phtml
こういう話題は水物なので、その瞬間に取り上げないと鮮度が落ちる。なので、ひと月以上も経過して取り上げるにはかなり勇気が必要だ。いや、なんて事はない。記事を書く時間が持てなかっただけだ。時間がなかっただけで、書きたいことがなくなったわけではない。
シンポジウムは YouTube で拝見したが、発表者の中ですさまじい破壊力を披露した池田信夫先生の主張がこの問題に対する解決策の結論だろう。つまりは、「そもそも B-CAS は独占禁止法違反なので、即刻廃止すべし」だ。
「著作権保護だ」「違法コピーが著作権者に甚大な被害を与えている」
「根拠のない被害数字だ」「デジタル放送のコピーは一回限りだ」
「それでは消費者の利便性が失われる」「では10回ならいいだろう」「それはダメだ」
と、延々と貴重な時間(と国税)を浪費してなお、落としどころが確定しない。省庁の審議官でなくとも何をしているのかと言いたくなる。だが、問題の本質はそんなところではなく、そもそも無料放送に CAS がついていること自体がおかしいのだ、という池田先生の主張だ。
氏のブログにある「地上デジタル放送FAQ」に詳しい経緯が記されているが、これに目を通すと、デジタル放送開始の決定は中央省庁の適当な御都合主義の産物であり、なんら十分な議論がなされていない状態で見切り発車した事がよく分かる。そればかりか、場当たり的な政策で無駄な税金を垂れ流してきた経緯が明らかとなっている。
もっとも驚くべきは、B-CAS がいつのまにか勝手に地上デジタル放送に組み込まれている事実である。放送法に詳しいわけではないが、国会審議も通さずにこのような重要な仕組がさも当り前のように組み込まれている事自体が違法ではないのだろうか?
B-CAS そのものの出生も怪しさ満載である。ペーパーカンパニーがすべての権利を握っているなどと、何がどうしたらそういう芸当が可能であるのか、頭の悪い自分にはさっぱり理解できない。このあたりは、道路公団と ETC 関連会社との関係に非常に良く似た悪臭がただよっている。問題が起きればさっさとつぶして何食わぬ顔をするつもりなんだろう。ただの天下り先で、勤務実態も無いのに退職金だけはたんまりぶん取っていくという、いつものアレだ。
いつから、この日本は、このような魑魅魍魎がウヨウヨする妙な国になってしまったのだろうか? いや、もともとそういう国なんだろう。これじゃ、若い世代が将来に夢も希望も持てなくて当然である。利権の甘い汁を吸いつづけている、社会的寄生虫はさっさと駆除しなければならない。
2008年2月19日火曜日
MIAUシンポジウム「ダビング10について考える」を開催
2008年1月7日月曜日
MIAU が、シンポジウム「ダビング10について考える」を開催
シンポジウム「ダビング10について考える」開催のご案内
http://miau.jp/1199692800.phtml
MIAU が、「違法ダウンロード問題」の次の大きな活動目標である「ダビング10問題」についてシンポジウムを開催する。
そもそも「ダビング10って何?」という人がほとんどではないだろうか?
知らなくて当然だ。「違法ダウンロード問題」と同じように、国民の目の届かないところでコソコソ進められているのだから。
ぶっちゃけ話をすれば、ダビングが1回だろうが10回だろうが、自分にはあまり関係ない。なぜなら、ハードディスクレコーダを持っていないからだ。理由は至極単純。「録画してまで見たい番組なんか無い」だけ。
昨今のテレビ番組にさほど魅力を感じない。魅力を感じないどころか、子供に見せたくない低俗なものがかなり目に付く。わざわざ高額な出費をしてまで録画する気がしない。
もちろん録画する気が全くゼロではない。NHK スペシャルなどの科学番組は録画して残したいと思うことはある。しかし「録画できなくてもそう困らない」ので、やはりその気は限りなくゼロだ。
本題から逸れたが、デジタル放送コンテンツの「コピーワンス(正確にはムーブワンス?)」のルールを緩和し、「コピー9回+ムーブ1回」にしましょうという話になっている。が、一見緩和に見えて本質的にはあまり代りばえがしない、という問題である。
このあたりの事情や経緯は勉強中だが、ここを参考にして予習しておくと良いだろう。
2011年の地デジ放送完全移行時に、強制的にデジタルテレビに買い替えさせられた人々が、「さて録画をしたいんだが」という時に、「なんて使いづらいんだ」と思わなくて済むように、いま、行動を起こさなくてはならない。
2008年1月3日木曜日
戦争体験と情報技術
帰省して義父と酒盛りをしていて、義父が携帯電話を持ちたがらないことが話題に上った。義父が言うには、「自宅の(固定)電話があれば何も不自由ではない。それに、いつでも電話にでなければならないので、携帯電話は持ちたくない」とのこと。
こちらとしては、いつでも連絡が取れるように持ってほしいのだが、昭和ヒトケタ生まれに限りなく近い御仁には、このような文明の利器はお気に召さないらしい。せめて携帯メールだけでも使えるようになってくれるといいのだが…。
それではパソコンもインターネットも興味は無いのかと聞くと、「文章を書くならワープロがあるし、調べ物は図書館に行けばよい」という。ワープロは OK らしい。ワープロが扱えるならパソコンも大丈夫だろう。インターネットの有用性を力説すればあるいはと、あれやこれやと説明をした。
そして、酔いも手伝っていたからか、自分の口から思いもよらぬ提案が飛び出した。
「オヤジの教員としてのノウハウをまとめ、インターネットで発信すべきだ」
義父は定年まで勤めあげた小学校教諭だった。定年した今では、当然のことながら現場からは離れ、悠々自適の毎日である。現役だったころに蓄積したノウハウは、オヤジの頭のなかに閉じこもっているだけだ。これは、ある意味社会的損失である。
さらに、自分の口からこういう提案も飛び出した。
「戦争時の体験を聞かせてくれたことがあったが、それらをまとめてインターネットで発信すべきだ」
オヤジは、終戦時には小学校に入るぐらいの歳だった。鹿児島の離島は、沖縄と同様に米軍の激しい攻撃を受けていた。毎日のように、グラマン戦闘機が編隊を組んで頭上を飛び回っていたそうだ。オヤジの脳裏には、その時の映像が VTR のように正確に記録されている。だいたいは酔った席で戦時中の話をしてくれるが、驚くほど詳細で正確な、時系列にそった事象を記憶している。
戦後 60 年以上が経ち、先の大戦の記憶も薄れようとしていると言われる。確かにその通りだろう。自分も戦後生まれだ。戦争の記憶などあるわけがない。
だが、両親や祖父母が戦争体験者なので、事あるごとに戦時中の話を聞かされて育ってきた。だから、戦争の恐ろしさを 100% といわないまでも、確実に刷りこまれている。
だが、いまの若い世代はどうだ? 親はもちろん戦争体験者ではない。生まれた時から何不自由なく生きてこられた。深く考える機会がなければ、戦争など絵空事か歴史教科書の記事にしか思えないだろう。
だからこそ、オヤジの体験は後世のために残さなければならない。オヤジは、戦争体験をまとめて本にする事を考えなかったわけではないらしい。だが、いざ出版となると費用など様々な高いハードルに阻まれて、そう容易には事は進まなかった。
そう、だからこそインターネットなのだ。この世には手軽で安価な出版システムがあるではないか。酔っ払った頭でオヤジを口説きながら、本気でそう思った正月だった。