2008年1月7日月曜日

MIAU が、シンポジウム「ダビング10について考える」を開催

シンポジウム「ダビング10について考える」開催のご案内
http://miau.jp/1199692800.phtml

MIAU が、「違法ダウンロード問題」の次の大きな活動目標である「ダビング10問題」についてシンポジウムを開催する。

そもそも「ダビング10って何?」という人がほとんどではないだろうか?
知らなくて当然だ。「違法ダウンロード問題」と同じように、国民の目の届かないところでコソコソ進められているのだから。

ぶっちゃけ話をすれば、ダビングが1回だろうが10回だろうが、自分にはあまり関係ない。なぜなら、ハードディスクレコーダを持っていないからだ。理由は至極単純。「録画してまで見たい番組なんか無い」だけ。

昨今のテレビ番組にさほど魅力を感じない。魅力を感じないどころか、子供に見せたくない低俗なものがかなり目に付く。わざわざ高額な出費をしてまで録画する気がしない。

もちろん録画する気が全くゼロではない。NHK スペシャルなどの科学番組は録画して残したいと思うことはある。しかし「録画できなくてもそう困らない」ので、やはりその気は限りなくゼロだ。


本題から逸れたが、デジタル放送コンテンツの「コピーワンス(正確にはムーブワンス?)」のルールを緩和し、「コピー9回+ムーブ1回」にしましょうという話になっている。が、一見緩和に見えて本質的にはあまり代りばえがしない、という問題である。

このあたりの事情や経緯は勉強中だが、ここを参考にして予習しておくと良いだろう。

2011年の地デジ放送完全移行時に、強制的にデジタルテレビに買い替えさせられた人々が、「さて録画をしたいんだが」という時に、「なんて使いづらいんだ」と思わなくて済むように、いま、行動を起こさなくてはならない。

2008年1月3日木曜日

戦争体験と情報技術

帰省して義父と酒盛りをしていて、義父が携帯電話を持ちたがらないことが話題に上った。義父が言うには、「自宅の(固定)電話があれば何も不自由ではない。それに、いつでも電話にでなければならないので、携帯電話は持ちたくない」とのこと。

こちらとしては、いつでも連絡が取れるように持ってほしいのだが、昭和ヒトケタ生まれに限りなく近い御仁には、このような文明の利器はお気に召さないらしい。せめて携帯メールだけでも使えるようになってくれるといいのだが…。

それではパソコンもインターネットも興味は無いのかと聞くと、「文章を書くならワープロがあるし、調べ物は図書館に行けばよい」という。ワープロは OK らしい。ワープロが扱えるならパソコンも大丈夫だろう。インターネットの有用性を力説すればあるいはと、あれやこれやと説明をした。

そして、酔いも手伝っていたからか、自分の口から思いもよらぬ提案が飛び出した。

 「オヤジの教員としてのノウハウをまとめ、インターネットで発信すべきだ」

義父は定年まで勤めあげた小学校教諭だった。定年した今では、当然のことながら現場からは離れ、悠々自適の毎日である。現役だったころに蓄積したノウハウは、オヤジの頭のなかに閉じこもっているだけだ。これは、ある意味社会的損失である。

さらに、自分の口からこういう提案も飛び出した。

「戦争時の体験を聞かせてくれたことがあったが、それらをまとめてインターネットで発信すべきだ」

オヤジは、終戦時には小学校に入るぐらいの歳だった。鹿児島の離島は、沖縄と同様に米軍の激しい攻撃を受けていた。毎日のように、グラマン戦闘機が編隊を組んで頭上を飛び回っていたそうだ。オヤジの脳裏には、その時の映像が VTR のように正確に記録されている。だいたいは酔った席で戦時中の話をしてくれるが、驚くほど詳細で正確な、時系列にそった事象を記憶している。

戦後 60 年以上が経ち、先の大戦の記憶も薄れようとしていると言われる。確かにその通りだろう。自分も戦後生まれだ。戦争の記憶などあるわけがない。
だが、両親や祖父母が戦争体験者なので、事あるごとに戦時中の話を聞かされて育ってきた。だから、戦争の恐ろしさを 100% といわないまでも、確実に刷りこまれている。

だが、いまの若い世代はどうだ? 親はもちろん戦争体験者ではない。生まれた時から何不自由なく生きてこられた。深く考える機会がなければ、戦争など絵空事か歴史教科書の記事にしか思えないだろう。

だからこそ、オヤジの体験は後世のために残さなければならない。オヤジは、戦争体験をまとめて本にする事を考えなかったわけではないらしい。だが、いざ出版となると費用など様々な高いハードルに阻まれて、そう容易には事は進まなかった。

そう、だからこそインターネットなのだ。この世には手軽で安価な出版システムがあるではないか。酔っ払った頭でオヤジを口説きながら、本気でそう思った正月だった。